キャリア論

 最近のキャリア理論において、何かしっくりこないものがあるなと思っていました。

 キャリアアンカーや計画的偶発性理論、はたまた〇〇キャリアなどいろいろありますが、これらにしっくりこない原因の一つに、「貢献」にフォーカスしていない(又は弱い)と感じる点であります。そして多くは企業内の企画事務という、特定の仕事に当てはまるものが多いです。

 例えば、エッセンシャルワーカーと呼ばれる職種が近年の感染症で注目され、彼らに感謝しよう!という言説もありました。しかし、彼らの仕事の中身は必ずしも「楽しい」「成長する」「なりたいものになる」といえるような性質であるとは限らないように思います。

例として「掃除をする仕事」を上げると、「掃除」自体に習熟はあってもそれを行うベテランが「成長した!」「フロー状態になった!」という満足を得るのは難しいと私は思います。

 そもそも、「自分が何者かになった!」「自己成長」などというのは独りよがりな視点であり、”なる”ことが目的ならば、法律で定められている職種でもない限りは割と簡単に”なる”事ができると思います。

仕事の本質は、”なる”ことではなく、それを行うことで、”だれかに貢献すること”であるとドラッカーは説きました。これは強くそう思います。

 自分が”なりたいものになる””成長する”という独りよがりなものではなく、他者や社会に貢献をする、ということがキャリアの第一義なのではないでしょうか?

 

 たとえ、「つまらない(と思える)仕事」でも、「ルーティンで飽きた仕事」でも、誰かの何かにしっかり貢献していれば、それは尊いものであります。そして貢献を通じて得た尊さこそがキャリアではないかと思います。

キャリアは、なりたい自分や自己成長などという独りよがりなものではなく、他者への貢献という尊いものだからこそ、キャリアではないかと考えています。もちろん、報酬の額や名声とも関係はありません。

こんな考えだから、キャリアを教えることはできないのかもしれないと思っています(苦笑)。